“於竹大日如来”-お竹さんのお話

羽黒町にゆかりのある、江戸時代のお話をご紹介します。

 

江戸時代のはじめ、江戸庶民の間で「生き仏」と慕われ

市中に一大ブームを巻き起こした一人の女性がいました。

 

IMG 0431

その女性の名前はお竹さん。

 

お竹さんは1622(元和8)年、

手向村(現鶴岡市羽黒町手向)に生まれました。

 

18歳の時にお竹さんは江戸日本橋の豪商・佐久間家に女中奉公に入ります。

お竹さんは気立てが優しく、赤いたすきに前掛け姿で

朝早くから炊事場に立つ働き者でした。

 

阿弥陀如来を深く信仰しており、自らの食べ物を節約しては飢えた人や動物に与え、

自分は台所の流しに麻袋をさげて集めた残飯を洗って煮て食べるなど、

物を大切にしていました。

 

1672(寛文12)年、そんな慈悲深いお竹さんのもとを訪れた

湯殿山行者と羽黒山伏に「お竹は大日如来の化身である」と告げられます。

それを聞いた佐久間家の主人はお竹さんに女中奉公をやめさせ、

持仏堂を造り念仏に専念させました。

 

お竹さんは人々の悩みを親身になって聞き、

仏の道を説き、江戸中で評判になりました。

 

そして1680(延宝8)年、58歳でこの世を去ったお竹さん。

佐久間家の主人はたいへん悲しみ、お竹さんの献身的な奉公に報いるため

高さ9尺あまりの大日如来像を作って祀ったそうです。

 

また、お竹さんの話に感動した徳川5代将軍綱吉の母・桂昌院は

「奉公人の鑑」とたたえて徳川家の菩提寺内の心光院に

お竹さんの流し板をまつり奥女中に信仰させました。

 

このことをきっかけに、お竹さんの話はたくさんの歌、川柳、

浮世絵、歌舞伎の題材になり、"お竹大日如来"として

江戸中にその信仰が広がったのでした。

 

その後 佐久間家では、大日如来像をお竹さんの生まれ故郷である

羽黒山麓に祀ったほうが良いと考え、江戸の職人を大勢引き連れて

羽黒山正善院黄金堂の境内に"於竹大日堂"を建てて安置しました。

 

お竹さんのように気立ての優しいお嫁さんや良い奉公人を求めて

於竹大日堂へ参詣にやってくる人も多いそうです。

 

その“於竹大日堂”、

江戸時代創建以来、初めての御開帳が今年の9月25日(日)からはじまります!

(なんだか、前置きが長くなってしまいました。)

 

於竹大日如来にまつわる企画展の情報や御開帳の情報は

今後も羽黒町観光協会ブログを通じて発信していく予定ですのでどうぞお楽しみに。

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