いでは文化記念館企画展『収蔵資料展-古文書からみる羽黒山の神仏分離』のお知らせ

令和元年11月30日(土)~令和2年4月13日(月)までの期間、
いでは文化記念館において収蔵資料展-古文書からみる羽黒山の神仏分離を開催いたします。

羽黒山へ来たことのある方は、不思議に思ったことはないでしょうか。

出羽三山神社の敷地である羽黒山内に、なぜか仏教建築の「五重塔」や除夜の鐘をつく「大鐘」があること。
参道や山の中に、首や手のないお地蔵さまや、石仏が祀られていること。
山伏修行である「秋の峰入り」が寺と神社、それぞれに分かれて行われていること。

現在の羽黒山の姿は、明治時代に起こった大きな出来事によって形づくられました。

慶応3年(1867年)、徳川幕府第15代将軍・徳川慶喜が天皇に大政奉還した
ことを受け、朝廷は王政復古を宣言しました。これにより倒幕派の薩摩藩や
長州藩が中心となり、明治新政府が成立しました。

新政府は、日本国の存在の根拠を天皇(神)に依ろうとする尊皇思想に基づき、
天皇を中心とした新しい国家体制を築くことを目指しました。

その一環として、神仏習合の慣習を禁止し、神道と仏教、神と仏、神社と
寺院とをはっきり区別させる「神仏分離」が断行されました。

もともと神仏分離令は仏教排斥を意図したものではありませんでしたが、
これをきっかけに全国各地で廃仏毀釈運動(廃仏運動)が起こります。

神仏習合のお山であった出羽三山もその例にもれず、明治2(1869)年に
神仏判然令が伝えられると、羽黒修験の総本山である羽黒山寂光寺は
出羽神社と改められました(現在の出羽三山神社)。

神仏習合の廃止、神体に仏像の使用禁止、神社から仏教的要素の払拭という
コンセプトから、仏像・仏具の破壊、経文を焼く、寺院の廃合、僧侶の神職への
転向などを急激に実施したため、お山は大混乱となりました。

神道化していった羽黒山でも、手向の300余りの宿坊のうち、正善院と金剛樹院は
仏教寺院として残りましたが、羽黒山の聖地は神社と寺の双方に分けられ、
羽黒修験の「秋の峰」も神道側と仏教側それぞれで実地されることになりました。

今回の企画展では、民俗学者の戸川安章氏から当館に寄贈された資料の中から、
出羽三山の神仏分離を物語る貴重な資料の数々を展示いたします。

明治維新・神仏分離から150年が過ぎ、羽黒修験はどう変わっていったのでしょうか。
当時の資料から探っていきたいと思います。

『収蔵資料展-古文書からみる羽黒山の神仏分離』
◎会期・・・令和元年11月30日(土)~令和2年4月13日(月)
◎開館時間・・・9:30~16:00(12月~3月)/9:00~16:30(4月~11月)
◎休館日・・・毎週火曜日、年末年始(令和元年12月29日(日)~令和2年1月3日(金))
◎入館料・・・大人400円、高校・大学生300円、小・中学生200円
◎お問合せ・・・いでは文化記念館 ℡62―4727

◎展示期間中のミュージアムイベント
歴史講座『古文書からみる羽黒山の神仏分離』
講師:後藤赳司(宗教学者、出羽三山山岳宗教研究所主幹。「出羽三山の神仏分離」(岩田書院)著者)
開催日:令和2年3月21日(土) 13:30~15:00
場所:いでは文化記念館レクチャールーム
受講料:無料(別途入館料がかかります)
申込み先:0235-62-4727 まで