湯殿山

古は本地仏として永遠の生命の象徴である大日如来(だいにちにょらい)と全てのものを産み出す山の神(大山祗命※おおやまづみのみこと)が垂迹(すいじゃく)神として祀られたことから、「未来の世を表す山」といわれる。
野性味あふれる自然が広がる湯殿山(標高1,504m)は、月山に連なり、湯殿山神社はその中腹の渓流のほとりに鎮座している。
古来、出羽三山の奥の院とされ、修行した山伏が即身成仏する場所とされ、今もなお山伏が修行をする「行場(ぎょうば)」でもある。
湯殿山神社の御神体は、熱湯の湧き出る茶褐色の巨大な霊巌である。
「語るなかれ、聞くなかれ」といわれ、神秘のヴェールに包まれてきた。
自然崇拝の原型を今に留めている。
月山から西に尾根づたいに下りること8㎞、月山の絶頂より流れ落ちる梵字川のほとり、幽邃(ゆうすい)な仙境に、悠久の太古より、滔々(とうとう)と霊厳とを御霊代(みたましろ)として、大山祗命、大己貴命(おおなむちのみこと)、少彦名命(すくなひこなのみこと)の三神が鎮まる湯殿山神社(1,100m)がある。
三山が神仏習合であった時代、三山を抖?(とそう)する修行を「三関三渡(さんかんさんど)の行」といった。
羽黒山は聖観世音菩薩(現在)、月山は阿弥陀如来(過去)、葉山や薬師岳は薬師如来(未来)とされ、それらの加護と導きにより現在・過去・未来の三関を乗り越え、湯殿山の大日如来(三関を超越した世界)の宝窟(ほうくつ)に安住し、即身成仏(生きたまま悟りを開く)の妙果を得るというものである。
裸足になって御神体に登拝するのは、大日如来と一体になって感得することである。湯殿山神社の背後から30mの鉄の梯子を下りると、御滝神社の滝壺に出る。
滝は、梵字川の激流が湯殿山神社の御神体脇を急に落下して、巖を噛んで流れる。昔はこの滝を不動尊として拝したが、今は瀬織津姫神を拝する。
この滝から神橋に至る間の両岸には13の末社が祀られ、この末社を巡拝することを御沢駈けという。
真夏でも肌に突き刺すような雪解け水に滝の行をする行者が多い。
湯殿山神社本宮では、参拝に際して現在でも履き物を脱ぎ、裸足になり、御祓いを受けてからでなければお詣りは許されない。
俗世とは切り離された神域である。
出羽三山参拝記念に建てられた「湯殿山碑」は東日本各地に数多く分布し、信仰域の広さを示している。