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精進料理は、なかなか馴染みのない料理かもしれません。しかしながら、精進料理はそれがなければ京懐石が成立しなかったほど、日本料理全体の水準向上に寄与したとても重要な料理です。

ところで、“精進”とは何を意味しているのでしょうか。仏教においては手間暇を惜しまず、結果を期待せずに力を尽くすこと。神道においては、外界から身を離して籠もることを指しています。共通するのは、“予期せぬものの訪れを待つ”ということ。それが“精進”のこころといえます。

“精進料理”はどのように生まれたのでしょうか。仏教は、インドから日本に伝わる過程で、肉食を禁じて菜食料理を発達させると同時に、肉の代用食として、菜食料理をベースに調味料と植物油を用いた調理を施すことで、複雑で味わい深い“精進料理”を生み出しました。これらの複雑な調理技術や使用する食材に対する考えは、後世の日本料理全般に大きな影響を与えました。

出羽三山の主峰・月山の山麓でははるか昔から、ブナ林を中心とした豊かな生態系において、山菜やキノコなど野生を食すために自然との対話が繰り返され、手間暇のかかる灰汁抜きなどの調理法が発達していました。そこには渡来した精進料理を迎える在来の高度な食文化があったといえるでしょう。

“出羽三山の精進料理”は、出羽三山の修験道によって育まれた料理です。修験道とは、人と自然と関わりを深く見つめる修行者たちの信仰のこと。羽黒修験道は、月山山麓の高度な食文化をベースに、寺院で発達した精進料理を山伏の自給自足の食生活に融合させ、さらに日本海を渡った京の感覚をも取り入れて、固有の「精進料理」を誕生させました。羽黒修験道において食すことは、心身を養うだけでなく、自然に宿る神仏や精霊とともにある「おこない」を意味しています。

出羽三山精進料理の品々には、出羽三山信仰に所縁ある聖地に見立てられた名前がつけられています。これから出羽三山を駈けようとする人は、信仰と聖地をあらわす料理の説明を受けて一品一品を口に運びます。私たちは出羽三山の精進料理を食すことで、聖なる山々から贈られた“生命の源泉”そのものを味わうことになるのです。

出羽三山の精進料理は2011年にフランスとハンガリーに渡り、その背景に広がる風土と文化を凝縮した味が絶賛されました。その味は今も羽黒山斎館や山麓の手向宿坊街で堪能することができます。