いでは文化記念館企画展のおしらせ
いでは文化記念館では企画展『観音様と羽黒山-合祭殿再建二百年記念・覚諄別当とその時代-』を
6月29日(金)~11月26日(月)まで開催中です。
・『観音様と羽黒山-合祭殿再建二百年記念・覚諄別当とその時代-』チラシ(PDF)
羽黒山の由来をまとめた『羽黒山縁起』の最初の一文には
「抑(そもそも)、當山(とうざん)は観音説法の道場、権現涌出(ゆうしゅつ)の覺䑓也(かくだいなり)。」とあります。
江戸時代まで羽黒山頂の「大金堂(三神合祭殿)」には出羽三山の本地仏が安置されていました。
それに対して「小金堂」と呼ばれたのが山麓の「黄金堂」です。
ここに祀られているのは三十三体の羽黒山の本地仏「聖観世音菩薩」です。
なぜ、羽黒山は観音様なのでしょうか。
「三十三」という数字は、なにを表しているのでしょうか。
また、羽黒山伏と観音様の関係とはどんなものでしょうか。
時代の影響を受けながらも現代まで受け継がれてきた、羽黒山の観音信仰に迫りたいと思います。
そして平成30年は、羽黒山頂にある三神合祭殿の再建二百年の記念の年です。
そこで羽黒山第75代別当・覚諄の業績、第50代別当・天宥との関わりに大きく焦点を当てていきます。
寛文8(1668)年に天宥別当が流罪になって以来、別当代が派遣されていた羽黒山。
文化8(1811)年の羽黒山上の大火災によって本社・開山堂・行者堂・
弁天堂・六所堂などが炎上し、書院や宝物も残らず焼失しました。
羽黒山の再建には山上・山麓の全力を結集する
必要があり、別当の現住制が要求されたのです。
そこで羽黒山別当に任ぜられたのが日光山医王院の覚諄でした。
覚諄別当は三神合祭殿の再建だけでなく、それに伴う厳しい倹約令、
封建的身分制の御恩分と平門人の創設、羽黒権現を伊氏波神社へ改称、
蜂子皇子に「開山照見大菩薩」という菩薩号を宣下、
開山並びに中興諸祖の月忌を行うなど、
のちの時代に大きな影響を与える数々の業績を成しました。
当時の資料から、羽黒山の歴史と文化に迫りたいと思います。
また、平成30年は、庄内札所三十三霊場(庄内三十三観音霊場)において8年ぶりに
『庄内三十三観音霊場 御開帳』が開催されます。
そこで、観音巡礼と羽黒山の関係に焦点を当て、観音様と羽黒修験との
深い関わり(羽黒山の観音信仰)や『庄内三十三観音霊場御開帳』にちなんだ
観音巡礼の歴史・基礎知識などを紹介し、来館者に出羽三山の山岳信仰と観音
巡礼についての理解を深めてもらいたいと思います。
7月7日から同企画展示室では、
県指定有形文化財である「観音三尊懸仏」の公開が始まります。
この懸仏は、聖観音-妙見菩薩‐軍荼利明王という羽黒権現の本地仏を表しており、
現在のところその最古の貴重な資料となります。
皆様この機会にぜひ、ご来館ください。
いでは文化記念館企画展『観音様と羽黒山-合祭殿再建二百年記念・覚諄別当とその時代-』
◎会期・・・平成30年6月29日(金)~平成30年11月26日(月)
◎開館時間・・・午前9時~午後4時30分(※7・8月は無休)毎週火曜日休館
◎入館料・・・大人400円、高校・大学生300円、小・中学生200円
◎お問合せ・・・いでは文化記念館 ℡0235-62―4727